我が家のリノベ計画から「住まいの機能」を考える2024.05.22

今回は「住まいにおける機能について」という、少し小難しい話を書いてみたいと思います。
たまにはこういうのもいいですよね?
 
なぜこんなことを書いてみようと思ったのか。
実は自宅マンションの寝室のリノベーションをしたいと思いあれこれ考えを巡らせていて、その思考の過程を綴った“備忘録”を残せたら…と思ったからです。
 
築30年の中古マンション購入しスケルトンリフォームしたのが今から6年前。3LDKだった間取りを1LDKに変えました。リノベ会社に設計を依頼しましたが、その図面が真っ赤になるほど修正を加えたのは今となってはいい思い出です。
 
現在、我が家には3人の子どもがいます。長男(中2)、長女(小四)、次女(年長)。こちらが当時の寝室。まだあどけなさが残る長男と長女…当時は可愛かったです(笑)。今は夫婦含め5人で一部屋に雑魚寝状態です。
 

 
私自身は3人兄弟の長男として育ちました。小学生の頃は六帖程の部屋に机を3つ、もう一つ同じ広さの部屋にベッドを3つ、というちょっと変わったレイアウトでした。個室にしてもらえたのは確か高校生に入ってから。今の時代で考えると少し遅め?でしょうか。
親にとって子育ては「僅かな期間」と言えるかもしれません。ですがその「僅かな期間」こそが、子ども達の成長にとって決定的なものになるかもしれません。なのでこのリノベーションは、親(私)から子への贈与であり有難迷惑かもしれないエゴでもあります(笑)。
 
まだ具体的には何も考えていませんが、個人的には長女が中学生になる前にはやりたいなぁと思っています。またその過程もブログでご紹介させていただくかも!しれません。
 
 
さて、本題へ。
「住まいにおける機能」というのは、プロダクト的な使い勝手(例えば、ドアノブや引手の形状、コンセントの高さ等)という意味ではなく、上記であげたような「寝室のリノベーション」「子どもに個室をつくる」など、身近なところからも考えることができます。
いささか教科書的ではありますが、いくつか挙げてみました。家づくりの参考になるか分かりませんが、建築的には機能について下記のような議論があります(あくまで一例です)。
 
 
1. 機能主義
人の生活はさまざまな活動の連鎖によってつくりあげられています。その連続する活動を分類し、分類された機能に「空間単位=部屋」を対応させる考え方を、“近代的な機能主義”と呼びます。
 
「学習=個室」「食卓=ダイニング」「調理=キッチン」「洗顔=洗面室」など、分類された機能に部屋が当てはめられていくイメージです。
 

 
この機能主義の最大の問題点は、本来は連続的な活動や空間であるものを、分類によって不連続に切り離してしまうところにあります。一連の活動を分類しそれぞれに名前を付け、それらをネットワークによってプランニングするのが機能主義の方法ですが、それでは連続的で多様な活動は生み出されないのです。何らかの分類を行う際、そこには「境界」という問題が生まれることに留意しなければなりません。
 
実際の生活をイメージしてみてください。
子どもの勉強を注意して見ながら献立を考え、ごはんを作りながら洗濯機を回し、ソファで横になりながらスマホで漫画を読む、なんてことは日常茶飯事です。常に手元にある“スマホ”が生活をより細分化して物理的な境界を見えにくくしたとも言えますね。
 

 
今回のリノベ計画では、6帖弱の部屋を2つに分ける予定です。「2人の子どもが寝る」という機能が最低条件。部屋の境界には音に配慮して壁を設けるべきですが、行き来ができなくなったり各スペースが狭くなったりと、制約が出てきてしまいます。また「勉強する」という機能を想定するかどうかも微妙なところ。人はやろうと思えばベッドでも勉強できます。うちの子は、学校から帰ってきて鍵を忘れて家に入れない時に、玄関前でランドセルの中身を広げて地べたの上で宿題をしてました(笑)逆に勉強するためにカウンターを設けても、それは先回りされた機能であって、実際にそこで勉強するかどうかはまったく分かりません(汗)であれば、機能と空間を紐づけることにはどれだけ意味があるのか…と考えてしまいます。
 
 
2. 〈事前〉と〈事後〉
〈事後〉に明らかになった認識図式を〈事前〉に当てはめて、〈事前〉にあった認識図式を隠蔽する論理があります。設計者が完成した建築を説明するときや、歴史が強者によってつくられるときにもこの論理が使われます。
 
分かりやすいのは、株価が上がった時の専門家による説明でしょう。ニュースでは株価が上がった要因を説明しますが、あくまで結果が出たあとです。では、事前に予測させてたらどうなるか?全然当たらないわけですし、当然事前の予測はボカして言います。説明する側も説明を受け取る側も、事後説明の「辻褄合わせ」を認識すべきです。
 
これを空間的に言えば、都市における「目的地と道」の話に似ています。
通常は「目的地が先にあり、そこに至る道がつくられる」と考えられますが、「道が先にあり、それが目的地をつくり出す」ということもあります。都市の起源は、むしろ後者にあるかもしれません。しかし事後的に見たら、目的地に行くために道があるように見える、ということです。
 

 
住まいに当てはめると、部屋(目的地)と廊下(道)の関係でしょうか?
例えば、部屋のレイアウトより先に廊下のレイアウトを決めてしまったらどうでしょう?部屋の形が変わってくると思います。もしくは子ども部屋を少し小さくして廊下の幅を少し広くしてみたらどうでしょう?そのおかげで何かの機能が誘発されるかもしれません。
 
我が家には、下の写真のようなロフトへ上がるための細い階段収納があります。
この階段は物干し金物の近くにあるので、いまや乾いた洗濯物の一次置き場所となっています(笑)ロフトの手すりが物干しとして使われることは想定内でしたが、階段に置いてある畳んだ洗濯物がロフトに行く子どもに踏みつけられるとは思ってもいませんでした(笑)。でももし私がこの階段を説明するときは、さも初めからそのような使い勝手を想定したと説明するかもしれません(笑)
 

 
設計者の立場からすると、お客様にこういった想定外の使い方をされるのは実はとても嬉しいことです。(あくまで「私は、」です)
計画中(事前)ではあれこれと悩み考えて、住み始めてから(事後)はご自由にお使いいただき、思ってもみなかった使い方も「新しい機能の発見!」と楽しんでいただけたらと思っています。
 
 
3. 生活の規定
家を建てるときの考え方はさまざまです。
今の生活に合わせてつくる人もいれば、生活を変えるためにつくる人もいます。どちらであっても、家が住む人の生活を決めてしまい、息苦しくなるのは避けたいものです。
 
頭に置いておかなければいけないことは、「家の設計」が良くも悪くも住む人の生活を決めてしまうということです。これは選べることではなく、前提として受け入れる必要があります。この設計によって生活がどう決まってくるのか、常に意識することが大切です。その影響を考えずに進めていくと、かえって生活を窮屈にしてしまうことになります。
一方で、設計には変えられない条件(与件)があります。例えば、家を建てる場所、周辺環境、気候、予算などです。これらを無視して設計は成り立ちません。
 
特に重要なのは、「家の中で何をするか」「どのように過ごすか」を考えることです。リビングやキッチン、寝室など、それぞれの部屋がどのような役割を果たすかを決め、その部屋同士のつながりも考えます。設計者はこれを単なる「好み」で決めるのではなく、住む人の生活に本当に合ったものにするために、多くの工夫を施しています。
 

 
といっても、無限ともいえる選択肢からどれを選んだらよいのか。設計者の多くは、これを「好み」というような恣意的な選択でよいのかという問題に直面します。人それぞれ「好み」は違うため、みんなが「好み」を持ち出しはじめると、収拾がつかなくなります。もし収拾するとすれば、それは誰かが他の人よりも何らかの理由で発言力が大きいからかもしれません。設計者の方が発言力が大きい場合もあれば、お客様のほうが発言力が大きい場合もあります。しかしどちらにしても、これでは設計というより、設計者と家族間の政治のようなものです。6年前の我が家もそうでした(笑)。今回のリノベは子ども部屋限定です。これから家族、特に子供たちとの熱い「議論」がはじまることでしょう。
 
 
4. インスタ映えする空間から、習慣化された日々の生活へ
建物は2つの仕方で受容されます。1つ目は「見る」こと。2つ目は「使う(生活する)」ことです。
 
1つ目の「見る」。たとえば、旅行者が有名な建築物を目の前にした時に当てはまります。機能ではなく「形や空間」で捉えるため、使う(生活する)こととは異なります。いわゆる“インスタ映え”はこれに分類されます。
2つ目の「使う(生活する)」。実際に建築を使う(生活する)ことです。時間をかけて形や空間に慣れていき、生活を通して体の延長と化します。形や空間は無意識に背景に引いていくようなイメージです。
 
完成した家に住み始めるときのことを考えてみるとわかりやすいかもしれません。
最初のうちは、形も機能も新鮮に見え、すべてが意識的に浮かび上がってくる。空間はまるで芸術作品を鑑賞するように注視して見るだろうし、機能はいちいちマニュアルを見ながら使いこなさなければいけません。
しかし時間をかけて少しずつ住まいに慣れ親しみそこで暮らすようになると、視覚的に特異な表現や奇抜な形も、使い慣れていなかった機能も、時間の経過とともに当初のインパクトを失います。もちろん窓で切り取られた美しい自然の風景でさえも。
 
住まいにおいては「慣れる」ということが、「見る」ことにも大きな影響を与え変化をもたらすということです。そういった意味で住まいとは、生活する人が時間の経過によって「注視→慣れ」へと移行していくことで、空間を通じて住む人の無意識に働きかけ徐々に感性を変革していくメディアとも言えます。住まいの「インスタ映え」というのは究極の一過性なのかもしれません。
 

 
引渡しから10年ほど経ったお家に上がらせてもらい、お施主様に我が家についてお話を伺うのは、実はかなり楽しみなことでもあります。計画通りなのか、予想を裏切る(上回る?)結果になったのか、はたまた誰もが考えもしなかったことが起こったのか、もしくは、案外何も変わってないのか…。どの分野もそうですが、掘り下げて深く考えていくととても興味深いものです。

 
最後に結びの言葉として、英国の政治家ウィンストン・チャーチルが1943年10月国会議事堂の建て替えについて議論されていた時に語った言葉を紹介させていただきます。いまでもたまに思い返す言葉です。
 
We shape our buildings and afterwards our buildings shape us.
「我々は建物を形作り、その後、建物が我々を形作る」
 

 
リノベーションされた子ども部屋に生活して10年後、たとえ我が子がどのような大人になったとしても、子ども部屋のせいになんてしないでほしい…と祈るばかりです(笑)
 
 

設計 中村

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